ですので、店舗で実際によく使われている表現をピックアップして
おきますので、ご利用ください。
営業中 Open
夜間営業 Open all night
日曜以外毎日営業 Open dayly except Sundays
終日営業 Open 24hours a day
年中無休 Open 7days a week
営業時間(9時~5時) Business hours:9:00-5:00
本日開店 Opened today
本日閉店 Closed
本日休業 Closed today
本日臨時休業 No business today
月曜定休日 Closed on Mondays
明日休業 We will close tomorrow
水曜日は半ドンです。 Wednesday are half-days
開店大売り出し Grand Opening Sale
新学期セール Pack-to-school Sale
在庫一掃セール Clearance Sale
赤札市開催中 Red tag Sale still
20%引きクーポン券セール 20%Off;coupon specials
クリスマス用品半額セール Christmas items on sale 1/2 price
クリスマス後の大売り出し After-Christmas sale
本日売り切れ Sold out today
品切れ Out of stock
本日品切れ。売り切れました。Sorry. Temporarily out of stock
1ドル均一セール All US $1.00
店仕舞いセール Closeout sale ; going out of sale
店内改装のため一時休業 Closed temporarily for remodeling
引っ越しセール moving sale
ガレージセール garage sale
火事の後始末セール fire sale
配達無料 Free deliverry
先着順でどうぞ、申し込み順 First come,first served.
特売品につき、返品もしくはお取り替えはご容赦下さい。
No returns or exchanges on sales items.
不良品お取り替え We will replace defective articles.
自家ブランド Store brand
ノーブランド Off-brand
目玉商品 loss leader
お客様は神様です The customer is always right
おいでやす Come in ! We’re open
所詮二郎もただのラーメン店。
ネタが多くて二郎を敬遠している人がいるとかわいそうなので。
入店・退店のオペレーションをひとつのプロジェクトと仮定して簡単に図式化して説明しておく。
立ち上げプロセス群: いわゆる『並び』および『食券の購入』プロセス。
ここでしくじると、他のロティストから入店を拒否されても文句は言えない。
計画プロセス群: 『着席』『硬軟コール』『トッピングコール』プロセス。
この辺は説明しなくても解るだろうと思われるので割愛。
実行プロセス群: 『食す』プロセス群。もちろん『食す』といっても実はそのプロセスはさらに細分化されるのだが、
初心者はとにかく早く食べる事を心がける事。(『撮影』『デュエル』などは上級者がすることです。)
※計画・実行プロセス群がサイクリックになっている理由はあえて説明するまでもないだろうが、
これこそがロットリズムそのものであり、オペレーションの中核である。店と客が一体になってこその「二郎」である。
監視・コントロールプロセス群: 店主、助手、他のロッターによる『マナー監視』『リズム監視』などのプロセス。
規律あるオペレーションに協力しよう。
終結プロセス群: これは簡単。どんぶりをカウンターに上げ、テーブルを拭き、大きな声でご馳走様を言い店を出よう。
ただし・・・万が一残してしまった場合は、ここには書けないような恐ろしい事になるので覚悟しよう。
以上、誰でもわかるようにおおまかにロットプロセスを説明してみた。
もちろん、このサイクルは「入店・退店」のみならず、さまざまなロット概念階層に適用される。
野菜山ひとつ口に運ぶのにもこの図式は適用されるし、
二郎と出会い、そしていつか体を壊すまでもひとつの大きなロットサイクルと捉えることができる。
デュエルやバトルにも、全く異なるプロセスで構成されるロットサイクルが存在する。
最低でも以上の説明を頭に叩き込み、理解し、イメージトレーニングを重ねた上で実戦に臨んでいただきたい。
(58リアクション)
森さんはビートたけさんしの仕事の仕方をこう表現しているそうだ。
一緒に夜中まで飲んで、たけしさんの家に泊まりこむことがあった。森さんを寝かせたあと、たけしさんはシャワーで酔いをさまし、机に向かって書きつけていた。ネタ帖らしい。飲み歩いてはそのたび机に向かうたけしさんを見て、森さんは自己嫌悪に陥った。
なるほど、すごい人は人知れず努力をするものか。と、勤勉のススメとして受け止めることもできるが、感心しながらも、森さんの受けとめ方は少しちがっている。たけしさんが、天才について語ったこんな話から、彼は別の意味を拾いあげていく。
ダイエーホークスの監督をしている王さんがジャイアンツ時代、畳が磨り減るほど真夜中でもバットを振っていたという有名な逸話がある。これをたけしさんは、天才は努力の結果と解釈しない。「そうしていないと落ち着かないからバットを振るんであって、本人は努力だなんて思ってない」。
ビートたけしさんも、王さんも、「超」のつく心配性なんだろう。
たけしさんなど、傍目から見ると、笑いがとれない事など想像できない。しかし、爆笑王である彼自身のココロは違うのだろう。「受けないかもしれないという不安」をネタ帳を書き続けることで、ココロを落ち着かせているのだろう。
王さんも同じなのだろう。「ホームランが明日から打てなくなるかもしれないという不安」から眠れない。バットを振り続ける事で、不安を振り払いココロを落ち着けるしか方法が見つからないのだろう。
たぶん彼らの心配、不安のエネルギーは、とんでもなく大きいエネルギーなのだろう。我々からは想像できない程の大きな不安感、危機感があるのだろう。その巨大な不安にさいなまれている本人は、徹夜してバットを振ることも、ネタ帳を書いている事も努力しているつもりはサラサラないに違いない。
不安だから、ココロを落ち着ける為に、バットを振り続けたり、お笑いの台本を書いているのだろう。バットを振り続ける事で、「これだけやったのだから・・。できる限りのことはやった」という事で、不安がなくなってきて落ち着くことができるのだろう。
二人の話は、マイナスの感情をホントに上手に利用している例ではないだろうか?。不安や恐怖、危機感を誤魔化さないで、冷静に真っ正面から受け止める。それをモチベーションの為の爆発的なエネルギーにして、行動を起こしているのです。(他の人であればすごい努力と感じる行動を)
人一倍、不安を感じる彼らは、いつも不安感や危機感にかき立てられている。そして不安を取り除く為に、少しでも不安を抑えるための行動(素振り、ネタ帳を書く)をする。本人は不安を抑えるための行動にしかすぎないが、実際は一般人の何倍も努力をしているということになっている。それが、人より数倍の結果を出すことにつながっているのでしょう。
ポイントは、努力を努力と感じていないという事。
努力という苦労でさえも、強い不安という不快な感情がある際は、「不安を減らす」という快感をもたらすものになる。
「快」の感情は、その行動を強化していきます。その「快」が「不快感を減らすという快」であってもです。
2008-10-17 (via gkojay) (via usaginobike) (via ishida) (via katsuma)
私,今日電車乗ってたんですけど,隣にちっちゃい子連れた家族が座って,お母さんのひざの上で女の子が暴れるので,私のひざに女の子の靴が当たる。こっちは休日でジーンズだし,そんな泥だらけの靴でもないので大して影響はないのですが,でもそれ,やっぱりすごく不愉快だ。汚れはいい。こっちへの迷惑に対する気遣いがないことが不愉快。
でも,注意して分かる子供ではないだろうし,もう一人子供を連れている母親に,「しっかりしてくださいよ」と言っても無理だろう。もし私がこの母親だったら,やっぱなすすべもなさそうだ。しかし,だからって私がこの状況を我慢してやらなきゃならんこともないだろう。でもなあ。電車の中で怒鳴り散らしたりなんかした日には,誰に正義があろうがなかろうが,無関係に公共の迷惑に成り下がるからやだ。そもそも,びびって注意なんて出来ない。
そんなわけで,特に注意はせず,ひざをよけて手で軽く払う,というジェスチャーで,間接的に「ちょっとやです」感を演出してみました。この腰抜けなアピールも母親は感じ取って「すいません」と言ってくれましたが,状況が改善することはなく,その後も子供の足はちょいちょい私のひざに当たるのでした。
こうした状況に居合わせたりすると,多くの人が「誰が悪いのか」「誰が正しいのか」を判断しようとしたりしませんか。私はそうです。またその中でも特に「自分は悪いか悪くないか」を考え,悪くない立場の人でありたいと思う。まあそれ自体は間違ってないと思いますが,返す刀で「誰が悪いか」を考えると,だいたい悪い方向へ考えが行ってしまう。
この状況で,誰が悪いかを言うとしたら,子供のことをきちんと見られないのにのこのこお出かけしているこの母親。謝っただけましとはいえその後も改善の見られないこの母親ということになるのかなと思います。子育て大変とは思うけど,と。でも,そういうこと考えてしまうと,その後私はずっと「もっとちゃんと謝ってほしい」とか,「謝ってもぜんぜんその後もこっち迷惑受けてんだけど」といったことを思ってしまうわけです。そんなこと面と向かっていえる度胸もないくせに。
2chその他のネット上では,こんな感じで,見てもいないどこかの出来事に対して,多くの人が「誰がいい」「誰が悪い」「中でも自分はそれらを見据える立場にいる正しい人」的な感じであれこれ感想を述べたりするわけですが,私もまた,そんな中の一人なのだな,と思う。思うけど,やめられない。言いたくなってしまう。なんでしょうね,その欲求って。自分は正しい人間だ,正しい判断力のある人間だ,ということを,だれかれなくアピールしたいのかしらん。
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男の初心者にはノートオススメしてる
んでわかんなくなったら持って来いと言ってある
女の初心者にはデスクトップをオススメしてる
んでいつでもいいからわかんなくなったら呼んでと言ってある
学習する前に考えておくべき6つのこと
1.根拠がなくとも自信を持つ。
初めて取り組むことに対して失敗はつきものです。しかし、そんな失敗を気にして不安に駆られながら取り組むとそれだけで一歩一歩が遅くなります。そもそも失敗する確率は、同じことを繰り返すことでしか発生割合を低減することができません。そんな失敗を恐れる心はボトルネックにこそなれどプラスには働きません。失敗を恐れる心は、羞恥心からうまれます。そんな羞恥心は自分を低く見られないための偽装に過ぎませんし、そんな羞恥心を満たしても単なる自己満足しか得られません。根拠がなくとも自信を持ち、その自信を真実で満たすために努力をすることこそが学習を実りあるものにするために必要なことなのです。
2.自分と他人を比較しない。
比較することは周囲の状況と相対的な『関係』を知るといった意味はありますが、その関係は直接的に自分の成長に影響を与えるものではありません。むしろ、比較することで発生する優越感は怠慢を生み、劣等感は嫉妬を生みますので、学習の阻害要因になる可能性の方が高いくらいです。優越感や劣等感で自分を覆い隠すのは全く意味がありません。学習の効果を上げるためには真摯に自分と向き合うことしかありません。自分の短所を直視して是正し、長所に努力を重ねることです。比較するなら過去、現在、未来の自分自身と行うべきなのです。
3.難易度を調整する。
易しすぎれば飽きますし、難しすぎれば諦めなければなりません。難易も度が過ぎれば自分にとってよい学習効果を挙げられません。ちょうど良い負荷を継続的にかけていくことが学習効果をあげるために重要なことなのです。常に自分にとって最適なの負荷を与えることはそう難しいことではありません。問題自体の難しさを変えることはもちろんのこと、制限や縛りを用いて難度を変化させることもできます。むしろ課題になるのは、そんなちょうど良い付加を継続的に引き受けることで、息苦しさを感じ続けなければならないことを受け入れるための心理的な要素の方に問題があります。
4.瞬発力を鍛える。
一番難しいのは重い腰を上げることです。物理的にも動き出すまでに大きなモーメントがかかりますので学習をするときの大きなボトルネックになります。動かないことは疑いと恐怖を生み出します。そんな、どうにもならない迷いも瞬発力があれば、一気に断ち切ることができます。現状に縛られてチャレンジできないのは勿体ないことです。体力的にもそうですが精神的に動きはじめることで見えてくるものは段々と増えてきます。その課題を一つ一つ乗り越えていくことで信頼と勇気を生まれてきます。つまり力を注ぐべきは今を断ち切る瞬間力なのです。
5.慣性力を利用する。
事が一旦動き始めればどのようなものにも慣性力が働きます。慣性力を失わせるものは『意図的に事を止めるための力』と『抵抗になる力』の2つがあります。なにか大きな理由があり意図的にやめなければならない理由がある場合は仕方ありませんが、基本的に抵抗になる力が慣性力を失わせる大きな要因です。つまり抵抗になるものをゼロにすることができれば慣性力で前進しつづけることができるのです。そんな抵抗になる要因を一つ一つ取り除いていくことが学習効率を上げる方法です。
6.能力を高めることはみんなのために繋がる。
知識は無限に存在します。学習に始まりはありますが終わりはありません。そんな、学習を追求することは自分のためであることはもちろんのこと、誰かのためにすることもできます。というより誰かのために能力を高めることこそが学習効果を最大にしてくれます。家族のため、故郷のため、日本のため、世界のため。それが学習の理由になったなら学習に限度はなくなります。
明日死ぬつもりで生きなさい。永遠に生きるつもりで学びなさい。マハトマ・ガンジー
6歳のとき
「きよしこの夜」を歌いながらいつも泣くから
わたしはその先生が好きなんだとわかった
7歳のとき
飼ってる犬もわたしと同じでブロッコリーが嫌いなんだとわかった
9歳のとき
田舎の人は 手を振ると
仕事の手を止めても 手を振り返してくれるんだとわかった
12歳のとき
お部屋を便利なように整えると
ママはもう一度片付けろと言うことがわかった
14歳のとき
元気になりたいと思ったら
誰かを元気付ければいいとわかった
15歳のとき
認めるのは嫌なんだけど
パパとママが厳しいのはいいことなんだとわかった
24歳のとき
アドバイスの言葉よりも
何も言わずにそばにいてくれる友達の方が
心を癒してくれるとわかった
26歳のとき
わが子の髪をとかしてあげることは
ほんとうに幸せなことなんだとわかった
29歳のとき
わたしが行くところにはいつも
この世で一番運転の下手な人がついてくるんだとわかった
39歳のとき
誰かがわたしの悪口を言ったら
自分は 誰もそれを信じないような
生き方をすればいいんだとわかった
42歳のとき
本当は自分をとても大切に思ってくれているんだけど
その示し方がわからないだけという人がいることを知った
44歳のとき
ちょっとした手紙を送るだけで
誰かの一日をいい一日にできるんだとわかった
46歳のとき
自己嫌悪の強い人は
他の人を責める気持ちも強いとわかった
47歳のとき
おじいちゃんおばあちゃんと孫たちは
自然とチームを組むものなんだとわかった
48歳のとき
今日 何があろうと どんな悪いことが起ころうと
人生は続いていくし 明日はいいことがあるんだとわかった
49歳のとき
聖歌の「アメイジング・グレイス」を歌うと
とても元気になることがわかった
50歳のとき
ホテルのベッドのマットレスは
電話の傍じゃない方が寝心地がいいとわかった
52歳のとき
この3つのことをどう処理するかで
男の人はだいたいわかると知った
雨の日
なくし物
こんがらがったクリスマスツリーのライト
52歳のとき
自分で野菜畑を作るのは
いっぱい詰まった薬箱と同じ価値があるとわかった
55歳のとき
親とどういう関係にあろうが
親が死んだら本当に悲しいものだということがわかった
58歳のとき
「生きること」と「暮らしていくこと」は
違うんだとわかった
61歳のとき
子供に良くしてやろうと思ったら
まず自分の夫婦関係を良くしなければいけないとわかった
62歳のとき
人生には二度目のチャンスが与えられているとわかった
64歳のとき
両手にキャッチャーミットを持ってたらいけない、
何かを投げ返せるようにならなくてはいけないとわかった
65歳のとき
幸せそのものを追い求めればそれは逃げていくけど
家族と、他の人の必要と、新しい出会いと、
ベストを尽くすことを心がければ
幸せが自分を見つけてくれるんだとわかった
66歳のとき
優しい心で何かをする時
それはたいてい正しいことだとわかった
72歳のとき
誰にでも祈ることが必要だとわかった
75歳のとき
奇跡を信じる者は報われるとわかった
実は わたしもいくつか奇跡を目撃したので
82歳のとき
苦しみがあっても
誰かの苦しみの種になる必要はないとわかった
85歳のとき
毎日誰かと触れ合うことが必要だとわかった
握手でも、抱擁でも、軽く背中をなでてやることでもいい
人は人のぬくもりが必要なのだと
92歳のとき
まだまだ学ぶべきことがたくさんあるということがわかった
「ダイエットすると言って、脳みそから減らしている。」
引用β (via pinto) (via shake4me) (via aya18) (via petapeta) (via kirisaki) (via yakeccd)
すごい良い例えだ。
(via c-cha) (via lunabahamut) (via uessai-text)
感動した
(via irregular-expression) (via gkojax) (via ukar)一番劣ると思っていればいいの。
そしたらね、みんなの言っていることがちゃんと頭に入ってくる。
(赤塚不二夫)
